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23歳の超絶的新人



入手困難といえば、STUDIO VOICE 1998年11月号には、管理人が初めて目にした平野啓一郎の写真が載っています(記載の文章はここで読めます)。おそらくこれがメディアに出た最初の平野啓一郎の写真でしょう(場所は京都大学の構内?)。芥川賞受賞前ですが、不思議なオーラがあってカッコいいですね。撮影は八二一(はにはじめ)さん。平野啓一郎公式ホームページの管理者です。

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2008年06月05日 1998年 トラックバック:0 コメント:0

一月物語、掲載

十津川には何日か泊まって現地のことも調べましたし、方言の指導なども受けました。(Meets Regional)


この頃から準備は入念ですね。「日蝕」に続いて、新潮1998年12月号に「一月物語」(200枚)が掲載されました。

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2008年04月18日 1998年 トラックバック:0 コメント:0

手紙

『彼から来た手紙は、縦書きの便せんに十六枚。ニーチェボードレールを引き合いに出しながら「文学は今、間違ったところへ行っているが、もっと聖なるものだと思う」という自分の文学観を書きつづっていた。丁寧な言葉遣いだったが、言っていることは生意気だな、と思いましたよ。だが、作品は読まなければ分からないから、まず送ってもらった。「日蝕」はパソコンで清書してあり、旧字の部分もキチンと作字してルビまでふってあった。読み進めるうちに、興奮して途中で京都まで電話をかけたのを覚えています。居ても立ってもいられなくなって飛んでいった。三島由紀夫の再来と言われるが、誇張でも何でもない。鴎外芥川に通じるところもあると思う。若い作家にとって、まさに盲点だった分野をついている。20世紀の終わりに、出るべくして出た人といえるかもしれない。考えていることは非常にオーソドックスだから、大きなところで勝負し続けてほしい。』(日刊スポーツ)


新潮の前編集長、前田速夫のコメントです。「日蝕」は、1904年創刊の伝統ある文芸雑誌、新潮1998年8月号巻頭に一挙掲載されました。無名の新人に対しては創刊史上初の出来事だったそうです。

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2008年04月07日 1998年 トラックバック:0 コメント:0

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